とりにっき

にっき(不定期更新)

今年度の社会人博士の調子、あるいは希望について

もはやブログと呼べる文字数になるかも怪しいが、なんとか論文等の修了要件は揃っていて、あとは博論を書くだけの状態になっている。

いつ終了できるかは未知数ではあるが、なんとか今年度中に修了できたらなあなどと思っている。

思うに、社会人博士に必要なのは気力や体力ではなく、それらがなくても続く仕組みだと思う。いや、厳密には仕組みではなくて、気持ちなのかもしれない。

例えば研究が進まない、仕事に絡め取られる、休日は休む、そういった時に苛立たず、波を作らず、静かに心の炎を灯し続ける。そんなしなやかなやる気があれば大丈夫なのだと思う。

何かあって一時的に研究をやらない日があっても一向に構わない。その1日で何が変わるというのか。長期的に見て辞めさえしなければ、博士課程は必ず修了できるものだと思う。いや、まだ修了してないが。

むしろ、社会人博士は職がある分、過程博士の人より将来に関するプレッシャーは少ないはず。

もちろんやらねばならぬ時はあるけど、その時は自分の人生にレバレッジがかかる瞬間と割り切ってやるしかない。そういう時のやる気はむしろ問題ではなくて、真に修了するために必要なのはもっと長期的なやる気、平たくいえば、希望の灯火を絶やさないようにすることなんじゃないだろうか。

今年度の体調不良まとめ、あるいは持続可能な研究生活について

博士課程に進学した人のレポ←ある

社会人博士のレポ←まあある

社会人博士が経験した体調不良のレポ←ない

ということで、今年度(D2∧社会人)経験した体調不良をまとめます。

これは自戒でもあって、明らかに去年より体調不良になる頻度が高くなっているので、まとめとこうというのが本当の意図です。体調不良のあとのカッコ書きは、私が思う体調不良の原因です(医者からそう言われたわけではない)

 

4月:歯痛(ストレス)

6月:歯痛(ストレス)

7月:風邪(論文執筆)、以降慢性的に胃腸の調子が悪くなり始める

9月:風邪(ひみつ)

10月:原因不明の高熱、関節痛(一月くらい過労だった(研究、業務ともに))

 

こうしてみると、実にさまざまな体調不良に悩まされていることがわかる。……とか言ってる場合ではなくて、明らかに体調不良が起こりやすい状態になっているわけなので、まずはこれらに対する原因を考察します。

 

原因①:行動不能でない限り、行動できるバイアス

→まあ要は行動不能にならない限り無限に頑張り続ける病になっている。特に9-10月はひどかったです(自戒)。

 

原因②:ストレス要因を予見できてない

→前似たようなことを述べてる(https://fired146.hatenablog.com/entry/2025/08/29/190000)んですが、今回の体調不良のうち、いくつかは事前に体調不良につながる可能性が十分に考えられた。いやまあ考えられてないんだけど。とはいえ、その「考えられてない」というのにも

1.ストレッサーとして認識はできていたけど、体調不良へつながる危険性を過小評価していた

2.そもそもストレッサーとして認識できてなかった

のような種類があると思っており、基本的には1が多いものの、今年度は2があったのが珍しいなと思っている。

 

原因③:体調不良を突発的イベントだと思っている

なんかこう、体調不良の要因を一つの要因に帰属してしまったけれども、基本体調不良って色んな要因の重ね合わせと思う(ex.睡眠不足×業務逼迫)。単体ではギリギリ誤魔化していても、重なるといよいよ誤魔化しきれなくなって、結局体調不良という形で身体がツケを払っている感じがする。

 

というMECE(言いたいだけ)でもなんでもない原因を挙げたところで、これまたMECEでもなんでもない対策を挙げてみる。

 

対策①:忙しくても週1日は仕事も研究もしない日があった方がいい

あえて指針レベルではなく、行動レベルの粒度で対策を書いてみた。できれば苦労しねぇのはその通り。できないことがあるのもその通り。まあ週1とは言わないし、うまく半休が取れればそれでも良いけど、月2-3は完全オフみたいな日がないと多分もたない。

1週間フルで稼働することは理論上は可能だし、してしまうけど、それは文字通り毒饅頭であって、そうしてしまうとまず間違いなく身体に跳ね返ってくる。

 

対策②:N月は危険、くらいな粒度で常に意識しておく

ストレッサーを常に意識しながら対処するのは無理(特に起きる前から予見するのはなおさら厳しい(諸説あり))なので、これまでの経験を基にあらかじめ「危険な月」をリストアップしておけるとよい(大概自分の分野の論文であったり、国際会議、学会だったりを逆引きすれば忙しくなる月はわかるはず……)。業務都合で忙しくなりそうな時期があればそこも入れたい。

自分の場合3,6,7,9月あたりは割とあやしめ。年1/3ヤバくて笑ったけど、まあそういうこと。大抵やばい。

 

対策③:ストレッサーが重複した時点で負けだと思う

なんとなく、この世のストレッサーが大中小の3つに分けられるとすると、体調不良になる条件は以下のように整理できそう。

定義

ストレッサー(大)は、それに複数日かかりきりにならないと解決できないようなものを意味する。心理・身体的な拘束時間が長く、ある程度馬力を出すことを覚悟させられるもの。

ストレッサー(中)は、負荷はかかるけど、それ単体でかかりきりになるほどではないもの。心理・身体的な拘束時間も短く、複数日にわたって継続的に悩まされることはない。

ストレッサー(小)は、それ単体では大したことがないようなもの全般。

命題

・ストレッサー(大)は2つ重なると体調不良になる。

・ストレッサー(大)とストレッサー(中)がギリギリ(継続してこの状況になるべきではない)

・ストレッサー(小)はギリギリの際のとどめとして働く可能性がある

証明

例えば、いくつか抱えている仕事のうちの一つが(大きめの案件)の締め切りが逼迫しており、かつ論文締め切りが重なっている場合、ストレッサー(大)が2つあるのでこの時点で体調不良になることが確定する。回避するには対策①のように休憩日を作るか、ストレッサー(大)を分解して、心理的にはストレッサー(中)だと思い込ませるようにしないといけない。

ごちゃごちゃ述べたが、結論としてはストレッサー(大)が重なった時点で、「要警戒」ではなくて「負け」であるということが言いたい。

 

以上がN=1の経験から導き出された対策だったけど、突き詰めれば「持続可能な研究生活を送る」ということに尽きます。本当に。

週1で休みは必要だし、ヤバい月は把握しとくべきだし、「要警戒」のラインを2段くらい落として常にバッファを持たないといけない。

その生活の先にきっと持続可能な研究がある、多分。

「生きるのが下手くそ」なのはなぜか

そんなに重い話ではないです。

自分は割と生きるのが下手くそだなと思う瞬間がある。例えば、迷った挙句結局どっちつかずの選択をするとか、物事の段取りが悪いとか。

大体そういうのは時間をかけたり、そういうもんかと思って受け入れていたのだけど、こういう「要領のよさ」って、やっぱり先をどれだけ想定してるか、というのが大きい気がしてきている。

なんかこう、目の前のことに取り組みながらその影響を推し量れるというか、頭の中で「その後」をシミュレートできる人が要領のいい人なんだろうなと思う。

翻ってみると、自分はあんまりそういうことを考えずに生きていて、目の前のことに100%の力を割く傾向にある。だけど、取り組む前なのか、取り組んでる最中なのかはわからないけれど、そのタイミングでちょっと「その先」を考えられると、なんか人生ってもうちょっと上手くいく気がしてくる。

まあ、実践できるかは知らんけど。

科学って人の数ある説

※安易な科学disではないので注意されたし。

まあ一応、片手で十分に収まるくらいの数の査読つき論文を書いた身として、科学的な手続きをふむのってむずいなあという気持ちがある。

自分の場合、応用に振ると「基礎がなってねぇ」と言われ、基礎に振ると「これは応用にとって何の役に立つのか」と聞かれる(後者に対しては若干反感がなくもないが)。他にも「〇〇はしないの?」とかもよく聞かれる。

もっというと、それぞれの立場で科学的であるためにふむべき手続きも異なるわけだし、そう考えると異なる立場の人を納得させるのは難しいなあとも思う。その意味で、やはり科学というものは人の数だけやり方(正解とは言わない)があるんだなあと思うなどしている。

そもそも異なる立場の人を納得させる必要があるのか、むしろ近しい人に見てもらって、その人が価値を認識して、論理が妥当と判断したならそれで良いのではないかと思わなくもない。しかし、これは閉じた世界(内輪)でウケれば良いと言っているように見え、自分の中では若干のダサさを感じている。さりとて査読者が自身の専門と大きく離れている(と思われるコメントをしている)のを見ると、「いやもう少し近しい人に見せてあげてください……」と思わなくもない。

自分はたびたび研究者とお笑い芸人って似てるよなと思うことがあるのだが、こういう内輪か大衆かとか、科学か科学じゃないか論争があるところも研究≒お笑いと感じる理由なのかもしれない。

内輪ネタ(ハイコンテキストな研究)をやり続けると劇場(狭いコミュニティ)でしかウケなくなってしまうかもしれないが、一方で内輪でしっかり自分の研究を理解してもらえことも重要なような気がする。

ありえないくらいの風邪を引いた

真夏に降った大雨によってもたらされた一時の涼しさ。世間はそれを「天然のクーラーだ」なんて言って持て囃していましたね。

僕はそのせいで死にかけています。なんか喉の調子がおかしいななんておもった翌日から、とんでもねぇくらいストレートな風邪をひきました。

幸いにしてヤバいやつではなかったんですが、まあこれが長引いてしまい、貴重な論文リバイズのための時間を5日も浪費することと相成りました。

季節の変わり目ですのでご自愛ください、そんな定型文の意味を身をもって理解した今日この頃。

【社会人博士】入社と同時にD進するメリット

※入社と同時にD進したときの心境というか、理由みたいなのは過去の記事👇で語ってます。こっちはあれから1年ちょいたった今だからこそ言えるメリットというか、利点みたいな話です。https://fired146.hatenablog.com/entry/2024/04/13/190000

 

(いきなり本文に入るが)一つは、「惰性で始めやすい」ことにある。

学生のうちに行くと決めてしまえばあとはしめたもの(?)で、入社と同時に「勝手に」Dの生活が始まる。なので、入社してしばらく経ってから行く場合とは異なり、業務とのバランスを考えたり、あるいは気持ちの整理をしたりといったプロセスが必要ない。

ゆえに、精神力がない、あるいは続けられる自信がない人にこそ入社と同時にD進(=入社前に院試を受けておく)ことをお勧めしたい。個人的にはDというものに対して変に高尚な理念を抱く必要はないのではないかと思う。別に多少舐めて入ろうが、高尚な志を持って入ろうが、博論は等しく審査されるわけだし。

 

また、二つ目のメリットとして、「むしろ研究がちょうど良い息抜きになる」点が挙げられる。業務をしていると色々行き詰まったり、思い悩む時があるが、研究は基本的に自分のやりたいようにできるし、何をどんなペースで行なっても良い。その意味で、業務で溜まったストレスをうまく解消する「趣味」のような感覚で研究を楽しむことができる。(というか修士の頃は気づかなかった研究の面白みみたいなものが、仕事のつまらなさと対比される形でより鮮明になる)

そのため、いわゆる二足のわらじかというとそうではなく、実際には1.5足のわらじくらいの大変さというか、むしろ業務を進めていくための良い潤滑油になる。なのでそこまで気負わずにD進してしまえば良いのではないかと思う。

 

最後に、三つ目のメリットとして、「Dを早く取れる」という点が挙げられる。当たり前だが、早く入れば(いずれ博士号を取れるという仮定はあるが)早く博士号が取れる。何事をなすにも遅いことはないとは言うけれど、博士号を取れるなら早めに取ってしまった方が良いのではないかというのが私個人の意見である。

 

まとめると、「意外と舐めた気持ちでも続くものだし、高尚なことを考えないで、内定持ってて比較的暇なM2のうちに博士の院試受けちゃえば?」というのが私の意見です。

まあもちろんあなたの人生に責任は持てないのだけど……。あくまでN=1のケースとして捉えてほしいなと思いつつ、でもあんまりD進を深く捉えなくていいんじゃないのとも思いつつ。

自分の場合修士の時と指導教員が同じなので、指導教員を変えるとかなるとまた話が違ってくるかもしれないけどね。

 

あなたのD進ライフに幸あれ。

指導教員を使い倒す

なんとなく、研究室配属された学部生であったり、研究の進め方に迷っている修士課程の学生の参考になるような気がするので書いてみた。

 

1.指導教員の利点は、経験による視座の高さと舵取り能力にある

特に学部生のうちは、研究テーマをどう立てるのかイメージがつかない、あるいは自分のやりたいことをどうテーマに落とし込むかに苦労すると思う。

ただ、それはそれで一向に構わない。なぜなら、あなたが調べてきた事項をあなたよりも深く読み取り、真意を汲み、1-2週間でこなせる次のタスクを与えることが指導教員の仕事だからである。なので、ひとまずボトムアップでもトップダウンでもいいからアイデアをたくさん持っていって、指導教員の脳に通してみることが大事だと思う。

 

2.さりとて、指導教員は神ではない

社会人博士をしていると、企業における役員は神の如き扱いを受けているなあと思うのだが、まあそんなことは置いておいて。

指導教員はあなたより圧倒的に経験値があり、そこを活用すべきというのは間違いないのだが、誤らないわけではない。失敗することもあるし、手探り手探りやっているので最適手ではないことも多々ある。この辺の「指導教員のパラメータ」は先輩とかの方がよく知っているのではないかと思う。

指導教員が得意なところはある程度乗っかりつつ、危なさそうなところはこちらでも吟味して全乗っかりはしない。先ほど「指導教員が舵取りをする」と言ったが、逆もまた然りで、我々が指導教員の舵取りをする側面もある。

 

3.指導教員は自分のテーマを忘れる

指導教員は通常めちゃんこ忙しいので、まあした議論を覚えていないこともある。こういう場合は前までの議論をテキストでまとめて共有するところから始めると良い。自分のミーティングの理解の整理にもなるのでおすすめ

 

とまあ、とりとめもなくいくつかTipsらしきことを書いた。何年か研究室にいる人には当たり前のことかもしれないが、意外とこういうことって明文化されてないと思うのよね。そう思いません?